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ロールモデル(4)

水野 敏子さん  NPO法人参画プラネット スタッフ

高校卒業後結婚。夫の両親と同居し、家事・育児中心の生活をおくる。40代からは地域の女性会(当時は婦人会)で活動。52歳のとき、名古屋市女性海外派遣団に応募。メンバーに選ばれ、北欧を視察。その後は積極的に講座や講演会に参加し、そこで知り合った仲間と学習グループをつくり現在も活動を続けている。平成16年、「NPO法人参画プラネット」のスタッフとなる。



 「まさか自分がこの年齢で、働くとは夢にも思いませんでした。働くのはほとんど初めてですよ。」と明るく話す水野敏子さん。
水野さんは「つながれっとNAGOYA」の近所にお住まいがあり、主に夜間、「つながれっとNAGOYA」の指定管理者である「NPO法人参画プラネット」のスタッフとしてインフォメーション業務を担当しています。また、スタッフの急病時や、多数の来館者で混雑しているときなど、緊急時には時間を問わず駆けつけてくれる、本当に頼りになる存在です。

「勤労婦人センター」との出会い

 水野さんは昭和30年代に結婚し、「つながれっとNAGOYA」のある中区千代田で暮らし始めました。「当時はほとんどの家庭がそうであったように、夫の両親との同居でしたので、家族の世話をするだけで精一杯の毎日でした。それが当たり前で、本当に一般的な主婦でした。現在の「つながれっとNAGOYA」の場所には、かつて、市バスの車庫があったような記憶があります。それが昭和50年頃、13階建の現在の建物が建ち、あまりのすばらしさに目をうばわれました。」と、当時のことを懐かしそうに語る水野さん。そしてその建物内に、「勤労婦人センター」がオープンしました。
 結婚前に洋裁を学んでいた水野さんは、「勤労婦人センター」で洋裁教室があることを人づてに聞き、
再び洋裁を習い始めました。ちょうど子どもも少し手をはなれ、昼間に時間ができた頃でした。「勤労婦人センター」というのは、女性の社会進出のため、手に職をつけるということを目的の一つとして掲げていました。しかし、さすがに洋裁で食べていけるという時代ではなくなっていましたし、受講生もほとんどが専業主婦で、趣味の域をでることはありませんでした。それでも年に一度のセンターの催事で、編み物や和裁教室の人たちと合同で行ったファッションショーは、普段、人前で発表するといった機会をもたない主婦にとって、企画の段階からやりがいのある、楽しみなイベントの一つでした。

おもいがけず海外へ・・・

 家事の合間に趣味を楽しむ専業主婦であった水野さんに大きな転機が訪れます。いつものように「勤労婦人センター」の洋裁教室に来た水野さんが目にした「名古屋市女性海外派遣団募集!募集人員10名」のポスター。「このポスターこそがその後の人生を大きく変えることになったといっても過言ではありません。」それまで一度も海外に行ったことのなかった水野さんは、センターの受付の方に内容を聞いてみたところ、「だれでも応募できますよ。応募してみたら」と言われ、「一度くらい海外に行ってみたいな」という軽い気持ちで応募することに。費用半額というのも魅力でした。小論文を提出し、その後、面接試験がありました。いざ派遣団に選ばれてみてびっくり。10人のメンバーで専業主婦はたった2人で、残りの8人は学校の先生や税理士といった勤労女性ばかりでした。

 「視察に出発する前は本当に大変な日々でした。視察に同行される大学教授を交え、市役所で女性学の勉強会が開かれました。学校を卒業してから勉強とは無縁の生活で、まして女性学などまったく学んだことがなかったので講義内容についていくのに必死でした。」3ヶ月の勉強会を経て、ようやく視察先であるスウェーデン・デンマークへと旅立ちました。視察先では女性会館や市役所を見学。また途上国支援をしている大きなボランティア団体などを視察しました。
 派遣団のメンバーに決まったときは、仕事はしていないし、52歳と最年長だったこともあり、正直なところ場違いな存在だと萎縮した思いがありました。しかし視察前の苦労した勉強会やさまざまな職種の方と一緒に海外視察をするという経験から、視野が大きくひろがり、さらに、派遣団のメンバーとは今でも交流があり、一生の財産になったといいます。
 海外派遣団として海外視察を終え、帰国してからは、精力的に講座や勉強会に参加します。とくに名古屋市主催の「なごやカレッジ」には数年間通い続け、女性学はもちろん、環境問題やコミュニケーション等、たくさんのことを学びました。また、そこで知り合った仲間と「カレッジさくら」というグループをつくり、現在も活動しています。大学の先生に依頼して「講座」を企画したり、自分たちの興味のある施設や場所等の見学会を2ヶ月に1回のペースで行っています。最近は自分が動けるうちに自分の目で老後のことをしっかり考えようと、さまざまな福祉・介護施設を見学しているそうです。

女性のネットワーク

 海外女性派遣団への参加で視野のみならず、ネットワークにも大きな拡がりをみせる水野さん。また、以前から地域の女性の地位向上のために組織されている「女性会」の活動を大切にし、積極的に参加してきたこともネットワーク拡大の一因となっています。 
 こうした今まで築いてきた「女性のネットワーク」が、「つながれっとNAGOYA」の指定管理者である「NPO法人参画プラネット」のスタッフとして働くことにつながっていきます。「人とのつながりがなければ、ここでの仕事を紹介されることもなく、この年齢で働くことはなかったでしょうね。年齢はもちろんのこと、私のように限られた時間でも働くことができるのが、うれしいです。」と話す水野さん。水野さんが働く「NPO法人参画プラネット」では、学生から水野さんのように子育てを終えた方まで、幅広い年代の方が集まってワークシェアリングしています。学生は学業との両立、主婦層は子育てや家族の介護などなんらかのケアワークを担いながら働いています。水野さんもご家族のケアを最優先し、主に午後6時から9時までの3時間のシフトです。一般的な勤務体系に縛られることなく少しの時間でも働くことができる環境があります。たとえ一日3時間でも働くことにより、社会のために役に立っていると感じることが、水野さんの活力になっているとのこと。
 身の丈のチャレンジからはじまった水野さん。つながりが、さらなるつながりを生み、水野さんの人生はこれからも拡がっていく予感がします。世代を超えてつながることの大切さを身近な人から伝えていってほしいですね。

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