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社会人こそ大学へ

林やすこさん 

専業主婦だった40代に大病を経験。その後、放送大学へ入学。4年間で卒業し放送大学大学院政策経営プログラムへ。2年後の2006年3月に修了し、現在はNPO法人事務局長およびプロジェクト統括責任者。


「大学には行かない」 自分の気持ちを封印

林さんは、幼いころ、祖父母のもとで暮らしていました。小学校3年生の時に、祖父母の営んでいた商売を両親が継ぐことになり、両親、祖父母、きょうだいと一緒に暮らすようになります。5人きょうだいの長女である林さん。「大家族と家業の商売」、この二つの要因から受けた影響は大きく、自分の気持ちを押し込めてしまいがちだったといいます。

入学した高校は進学校でしたが、経済的な理由から大学への進学はしないことを決めました。家族や先生など周囲の人たちは、進学することを勧めてくれ、受験した大学には合格しましたが、「大学には行かない」を徹したそうです。その頑固な意志は、揺らぎそうになる自分の気持ちを封印しようとしたためかもしれないと、当時を振り返ります。

働く場での経験

大学へ進学しなかった林さんは、その後、地元のガラス製造会社に勤めることに。その会社では、出産後も働き続けている女性や定年まで働く女性もいました。仕事をすることを通して教えられたことは、今でも林さんの力になっているそうです。

入社後すぐ、会社の経営状況が悪化し「非常事態宣言」、一時帰休や転勤、出向、希望退職を募るといった合理化の提案が出されます。職場にはピリピリした空気が漂い、多くの人がやむなく転勤や退職に応じる様子を見てきました。労働組合の青年婦人部では、産前産後休暇の要求を掲げて活動をしていた頃。その必要性や大切さを男性の役員が説明しており、同じ役員でも女性がそのような場にでることはありませんでした。そこでの経験は、林さんにとって労働組合の存在や、人間らしく働くことを考えるきっかけになったといいます。

5年ほど勤めた林さんは、結婚も決まり、退職することを決めました。当時、社内の同世代の女性は結婚をきっかけに退職することが多かったようです。その時、「退職しないで、働き続けたら・・・」と助言をくださる方もありましたが、彼女は働き続けることの意味もわからず退職しました。幼いころの経験から、結婚や子育てに強い思い入れがあり、「自分の子どもは自分で育てたい」という気持ちも強かったのです。

「もやもやとした気持ち」との葛藤

結婚をして2年目に家を購入し、夫の両親と同居をすることになります。8ヵ月後に、長男が生まれました。「自分の子どもは自分で育てたい」という思いが、夫の両親やまわりの人の気持ちとぶつかり、林さんは、自分自身の気持ちがうまく整理できなくて、いらいらすることもあったそうです。しばらくして、夫の母が病気入院。義姉のもとで母の療養の日が続きます。母が亡くなると、葬儀や親せきとの付き合いのなかで、嫁という立場にも直面しました。

子どもが保育園に通い始める頃から、市民生活協同組合の活動に関わり始めた林さん。次第に活動の幅が広がり、理事や監事を務めるようになると、活動に出かける日も増えていきました。自らの意思で始めたボランティアでしたが、何かもやもやとした気持ちも生まれ始めます。

子どもの保育園や市民活動で知り合った仲間の言葉に、助けられたこともありました。自分を縛ってきた「嫁として、妻として、母として、立派にやらないといけない」というカチカチの気持ちが、そこでほぐれてきたと話してくれました。

「生きたい!」という気持ちが大学への思いに

ある日の夜中、寒気がして40度の発熱。忙しい毎日を過ごしていた林さんを、病魔が襲います。1ヶ月半の入院生活を送り、完治するまでに3年を要しました。長く生きられないかもしれないと言われた時期もあり、「生きたい!」という思いが募るばかりでしたと当時を振り返ります。入院生活は、自分のことを振り返り、深く考える機会になりました。

林さんの入院中、家族(夫、二人の息子と義父の4人)は炊事や洗濯などの家事を分担、協力して乗り切りました。「家事・育児はわたしの仕事」と思い込んでいた林さん。自分がすべてしなくてはと考えることが家族の自立を阻んでいるのだと気づいたそうです。

「生きたい!」という気持ちと向かい合った時、「自分自身の縛りをとり、これからの人生を悔いのないように生きたい。やりたいことは家族にもきちんと話し、悔いのないようにやり遂げよう」と思いました。心の奥に押し込めた「大学」への思いが首をもたげ始めます。

気づきから学びのステージ、大学へ

その後、四日市市女性センターや名古屋市女性会館、NPO法人ウイン女性企画などの講座を受講。その学びの中から、「個人的なことは社会的なこと」、「女性にとっても男性にとっても働き方は重要な課題」、「意思決定の場への女性の参画が必要」という気づきが生まれ、これらは今まで感じてきたもやもやした気持ちを解決していくヒントなのかもしれないと感じていきます。

一つ目の「個人的なことは社会的なこと」という視点。嫁と姑、家族との関係や女性が働き続けることなど、林さんが抱えていた“もやもやした気持ち”は、自分だけの問題ではなく、社会的な問題なのだと考えるようになりました。

二つ目に「女性にとっても男性にとっても働き方は重要な課題」という視点。原点には、自分自身の職場での体験があり、林さんはワークシェアリングや人間らしい働き方に興味をもちます。働き方は、女性にとっても男性にとっても重要だと感じたといいます。

三つ目には「意思決定の場への女性の参画が必要」という視点。市民活動での体験と結びつき、意思決定の場に女性が参画することが当たり前になることで、社会が変わっていくと考え始めます。

この三つの視点が学びたいこととなり、研究テーマとつながったこと、そして「大学」への思いが重なって、放送大学へ入学することを決めます。病後であることや経済的なことを考え、自分のペースで学習できる放送大学を選んだそうです。

4年で大学を卒業、その後2年で大学院を修了した林さんは、「卒業したら必ず資格などに結びつくというものではありませんが、私の場合は、大学での学びが今の仕事やNPO活動につながり、さらに新たな課題に発展しています。社会人としてさまざまな経験を積んでいるからこそ、感じることがあります。『社会人こそ大学へ』というところですね。学びたいという思いの奥には、研究につながる何かがあると思います」と笑顔で話してくれました。

現在も、NPO法人参画プラネットの事務局長として活動しながら、大学との接点を持っています。林さんの「学び」は、きっとこれからも続いていくのでしょう。




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