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在宅ワークからの再出発

伊藤静香さん 

専業主婦からNPO活動へ。働く意義を見出した矢先、夫の仕事の都合でカナダへ転居。在宅ワークで活動を継続しつつ帰国。思春期の娘は子離れし自立した夫婦をめざす。


お嫁さんにしたいナンバー1

短大卒業後、商社に勤め、学生の頃から付き合っていた彼と恋愛結婚をした伊藤さんは、「それが女性の幸せだと思っていたし、「お嫁さんにしたい」と思われる女性になりたかった」と20年前の自分を振り返ります。結婚後まもなく、仕事に忙しく、家庭を顧みない夫との生活にギャップを感じるようになります。恋人同士だった学生時代とは何かが違う。「愛する人と結婚し、その人の子どもを生み育てる」という夢は叶ったものの、その先は「どうしたらいいのだろう」と漠然とした不安を持つようになりました。すれ違いが多くなっていく夫婦関係に蓋をして、子どもに関心を向かわせます。公園デビューを果たし、理想として描く『明るくニコニコしたお母さん』になるために一生懸命に頑張りますが、子育てが思い通りにはならない現実に苛立ち、自分に対する自信をどんどんなくしていきます。夫に頼ることもできず、苦しい子育ての時期を過ごしました。

完璧なお母さんより、人間らしいお母さんになりたい

子どもが5歳のとき、夫の仕事の都合で名古屋市から多治見市に転居しました。「引越しした翌日から夫は仕事にいきます。私は友達もなく、引越しのダンボールとともにアパートに取り残される。孤独ですよ。転勤族の妻は夫の転勤のたびに、新しい地域で情報収集も人間関係もゼロから始めなきゃいけない」夫の都合で影響を受ける自分の人生にやり切れない思いでした。

あるとき、子どもの幼稚園で開かれた「親子のコミュニケーションスキルを学ぶセミナー」に参加しました。それが「親業訓練講座」との出会いです。他の母親たちと講座を受講し、その後自主学習グループ「あいあいの会」を設立しました。「あいあいの会」で仲間と共に学ぶうちに、「私は私のままでいい。自分を大事にしたいと思ったときに、はじめて相手のことも大切にしたいと思えるようになる」ということを実感します。子育てと同時に「自分育て」もできたのが「あいあいの会」だったそうです。

その後、夫が過労から体調を崩したときにも、悩む伊藤さんの支えとなったのが「あいあいの会」のメンバーの存在でした。「あいあいのみんながいたから、夫の危機も乗り越えられました。そのことを夫も認めてくれました。うれしかったですね」と、伊藤さんは言います。

私のために生きる人生

「あいあいの会」で安心できる仲間ができて地域の活動にも関心を持ち始めた頃、また転勤で名古屋に戻ることになりました。社会とつながりたいと思い始めていた伊藤さんは、たまたま新聞の広報で見つけたNPO法人ウイン女性企画(ウイン)主催の講演会に参加し、そのまま会員になります。このウインとの出会いが一つの転機となりました。「自分らしく生きたい」と思い始めた伊藤さんが実際にウインで「自分らしく活き活きと生きる女性たち」の姿を見て「自分もそうなりたい。なれるかも」と思い始めたのです。

また2000年〜2001年には、仕事でエジプトに派遣された夫に同行し、初めて異文化での生活を体験します。日本にはない豊かさやエジプト人のおおらかな生きかたを知り、改めて「どう生きたいか」を考えるようになりました。

もう王子様は待たない!

「女性の自立」の意味を模索していた伊藤さんですが、「自分には資格も能力もないし、年齢も高い。いまさら働けず経済的な自立は一生できない。だから、夫に依存するしかない」とあきらめていました。2003年にウインが受託した名古屋市男女平参画推進センターのスタッフを公募した際も、「働くことよりも、社会的な活動ができるから」という理由で応募をしました。夫も「家事に支障がない範囲でなら」という条件で許可します。ところが、働くことを通じて充実感や達成感を味わうようになり、伊藤さんの自信につながっていきます。公的施設で働くことが「公共意識」を育て、社会的な責任も認識するようになりました。やがて伊藤さんの夫に対する気持ちは「夫に頼らないと生きられない」から、「経済的にはまだまだ差はあるけれど意識の上では、“対等なパートナー”」と変わっていったそうです。「私を幸せにくれる王子様を待つのは、やめた。幸せは自分でGETします!」と伊藤さんは笑って言いました。

どの道を選ぶかでなく、選んだ道をどう生きるかが大事

NPOで働くことが楽しくなりこれからというときに、またしても夫が仕事でカナダ・トロントに行くことに。夫と共にカナダに行くか、日本に残ってNPO活動をするのか、迷いに迷いましたが家族揃ってトロントで暮らすことを決断します。家族の都合で分断せざるを得ない状況の中で、女性がキャリアを継続していくことができるモデルとして、NPO法人参画プラネット(参画プラネット)の「在宅ワーカー」となり、ホームページの製作・運営を担いました。ウエブサイトの知識もない中で、メールで日本の仲間と交信しながらホームページ作りにチャレンジしました。

また、日系支援NPOでボランティアをしたり、移民のための成人英語学校に通ったり、週末には夫婦で小旅行をしたりと、トロントでの生活を楽しみました。トロント参画研究会を主宰して、トロントで活躍する日系女性のソーシャルワーカーたちとのネットワークも広げていきました。

2007年国立女性教育会館(NWEC)研究ジャーナル11号に伊藤さんの執筆した『再チャレンジする女性たちの現状と課題―男女共同参画センターにおける人的資源活用をめざす実践事例から』が掲載されました。参画プラネットで活動している女性たちが、どのようにキャリアを築いていったのか、実践事例報告としてトロントで執筆したものです。後ろ髪を引かれる思いで現場を離れたNPO活動でしたが、客観的にとらえて執筆したことで「自分の気持ちと活動の意義を整理できました。掲載されたことはもちろんうれしいですが、それ以上に書き上げたことですべてがすっきりしました」と伊藤さんは言います。

 結婚してから夫の仕事の都合などで転居すること9回の伊藤さん。転居のたびに人間関係やキャリアが分断され、ゼロから出発することを繰り返してきました。「人生では何度も選択のときが来ます。どちらの道を選んでも正解、不正解はないと思います。選んだ道をどう生きるかということの方が大切だと、わたしは思います」、この言葉に、家族の都合でどうにもならない状況の中で「自分のために生きたい」伊藤さんの「自己決定」への思いが表れています。


今、私があるきはじめた道は…。

2007年夏、日本に帰国した伊藤さんは、参画プラネットの情報局担当として職場復帰しました。さらに、NWEC研究ジャーナル掲載をきっかけに自分たちのNPO活動の意義をもっと深く研究したいと考え、大学院に進学しました。社会人大学院生となっている先輩たちの存在も大きな目標となっています。「仕事と研究の両立は大変だけれど、論文はとても有効な社会発信の手段だと思います。しっかりと研究して、わたしたちの活動を理論的に伝えられるようになりたいです」と瞳を輝かせました。



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